少年が大志を抱いて何が悪いんですか?

少年が大志を抱いて何が悪いんですか?

ソフトバンクの孫正義さんの言葉で、夢とは自分の為に抱くもの、志とは世のために抱くものというものがある。その言葉を借りるのであれば、私は小学生時代から”日本の教育を変えたい”という志を持っており、年を重ねるごとにその志はより強くなっているだろう。

最近、”意識高い系”という言葉が日本で使われるようになった。ドラマのタイトルになるほど流行している。その言葉は年長者が、叶いそうにない大きな夢や志をもつ若者に対して風刺する言葉のようだ。幸いなことに私はその言葉が生まれる前に渡米したので、被害に合うことはなかったが、恐らく私は小学生時代から、この意識高い系に属しているだろう。

いやいや、若者だけに対して言ってるわけではないという、年長者がもし仮にいるのであれば以下の質問を問いたい。

大阪都構想という大きな志を主張する橋下市長に対し意識高い系と言いますか?このまま地球に住むと人類は絶滅するから火星に引っ越そうと主張するイーロンマスクが意識高い系に属しますか? そんなことはないだろう。

いつの時代も年長が年少の行うことに対し揶揄し、長年生きたことにより経験値が高いとエイジハラスメントを行う方々は存在しただろう。”意識高い系”という言葉が生まれる前からもそうである。また、それはどこの社会やコミュニティーでも少なからず存在する。しかし、敬語という言葉づかいが存在し、元より年下が年上に対し無条件に敬う日本の文化では、他の文化よりもエイジハラスメントが過激化しているように思える。

私は高校時代より個人事業主として一回りも二回りも違う年長者に紛れて仕事をしている。経営者や政治家が主催する会合やミートアップに数多く参加してきた中で、10代の私はいつも最年少でエイジハラスメントの対象となってきた。”来るとこ間違えたんじゃない?””今の君にはわからないよ”など、初対面にも関わらず、私が若いが故に上から目線で対応してくる年長者がほとんどだ。中でも”若い間に目を摘んどかないといけないね”と面等向かって言われた時は心底驚いた。

それはシリコンバレーにきた今でもそうだ。自分の縄張りを荒らすな、若いのだからおとなしく目立たないようにしておけと圧力をかけてくる日本人も存在する。ようやく社会で挑戦し始めた者を叩いて何が楽しいのか深く疑問に思う。同じ日本人として恥ずかしい。

以前は私が中途半端なレベルだから、こいつなら勝てるかもと戦を挑んでくる輩が出現するのかと思っていた。だから自分は誰も批判されないようにレベルアップしようと、苦悩した日もあった。

しかし、今はそうは思わない。一国を代表する内閣総理大臣ですら、”なんか感じ悪いよね””安部は止めろ”などと街中で騒ぐ学生デモ団体も存在するぐらいだ。

有名になれば有名になるほど、的を得やすく、批判の対象となる。自分に特有の意見がある限り、批判や圧力は必ず生まれる。それは成功していく上で必然的な過程なのだと今はそう信じている。

 この記事を書こうと思った経緯は日本に帰国して、旧友に会うと、あまりにも当時抱いていた志を年長者の言葉の圧力によって諦めかけている若者が多かったからである。そんな若者に伝えたい。10年前の自分に今の自分を会わせられるかと。本当に今の自分に満足しているのかと。

私にはできない。10年前の自分が未来の自分に約束したことを今の自分によって諦めてしまうことなど。

 私がいた2年前に比べて、日本は現在とても活気に満ちている。techの世界で言うと、若者がプログラミングを学び、自分たちのプロダクトを通して世界を変えようとする学生の数が圧倒的に増えている。

またそのような世界を変えたい学生の数は感覚値ではあるが、シリコンバレーの学生よりも遥かに多いと感じる。日本人として非常に誇らしいことである。その裏には学生が世界で戦う土俵を用意してくれるVCの方々の尽力の結果であると私は思う。

 自分の志を諦めかけている人に気づいて欲しい。貴方の挑戦できる舞台が必ずあると。

 自分が経験したこともない大きな志を持つ若者に対して批判する年長者は多い一方、その志を達成するための環境を投資してくださる方々は日本でも増えてきた。

寝てるだけで年はとる。ディスることしかしない年寄りに耳を傾けてはいけない。ディスるよりコントリビュートしてくれる人を自分で目利きして探さなければいけないのだ。

 私もそのような方々の恩恵により、ようやくシリコンバレーという土俵で挑戦し始めることができた。私はその恩人の方々に感謝しても仕切れない。私がスティーブジョブズ級に成功したとしても、お世話になってる方々全員に果たして恩返し仕切れるのだろうかとときどき不安に思うほどだ。

 

私は阪神淡路大震災の年に大阪で生まれた。小学生の時にゆとり教育が開始し、世間では最後のゆとり世代と揶揄される。アメリカ同時多発テロ、リーマンショック、東日本大震災と高校卒業までに明日の不安を感じるような大きな事件が何度も起きた。生まれてから現時点までに内閣は13回変わり、日本経済は不景気だと叫ばれ続けてきた。

 私たちは未来に希望を感じられないような時代に生まれたのだ。しかし、そんな私たちでも志を持ち明るい未来を望むことくらい許されるだろう。私たちはただ確かな明日が欲しいのだ。

この場を借りて、全年長者にゆとり世代を代表して言わせてもらおう

“少年に大志を抱かせてください“

 

 

 乱文・乱筆にて失礼致しました。

tomura/hackletter

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