先月8月11日、全てのニュースチャンネルや新聞はインド生まれインド育ちのSandar Pichaiがグーグルの新CEOになった話で持ち切りだった。去年マイクロソフトのCEOがインド人のSatya Nadellaになったのに引き続き、彼らはインドがITにいかに強いかということを示し続けている。この二人がそれほど位の高い家系から来たわけではないのに、世界で最も影響力のある会社を代表するという事実はとても感慨深い。
ビジネスアナリストのAninda Baruah氏がSundar氏の成功に関する記事を読んでみると、そこには嘆かわしい事実が横たわっていたという。それは、もし彼がインドにとどまっていたら、このチャンスを手にすることは不可能であったということである。そうした中でBurauh氏は、もしアメリカがこのように起業家精神を自然と応援するような国ではなかったら、今のグーグルもなかったであろうし、Pichai氏が何百万人もの人をインスパイアーすることもなかったであろうと考えると、自然にアメリカに対して畏敬の念が湧き上がってきたと言う。
ちょうどそのとき、Baruah氏の父が、この成功の陰にあって完全に忘れられていた存在のことを語り出した。それはもし一時人々の話題になることであっても、すぐに忘れられてしまうのかもしれないことである。それはグーグルやマイクロソフトの犠牲がなければNadella氏やPichai氏の台頭はなかったということだ。
「私の手を離さずに握り続けていた存在、つまり私たちの両親がいなかったら今の私たちはいなかったであろう。」
Sandar Pichai氏は彼のインタビューの中で、質素な暮らしをしていた彼の両親は彼が何不自由なく教育を享受できるように、多くのことを犠牲にしてきたことを語った。彼らは車やテレビを持ったことはなく、彼らのベッドルームのうちの一つはリビングとして使われていたという。両親が貯めたほぼすべての貯金は、Pichai氏がアメリカに飛び立って大学で奨学金を受けて修士号を取りにいくための航空券に使われた。
Brauah氏が彼の妻に上記のことを熱弁していたとき、彼の父が話に割り込んできて、「これは本当に素晴らしい、彼の両親の重労働と犠牲は本当に報われた。」と言った。
Sundar氏やSatya氏などが育った時代は社会経済政策の自由化の実現より前の時代であり、その時はインドは発展途上国としてみなされていた。中間層の人間は収支を合わせることだけにさえ多大な苦労をしていた。その世代の人々にとってレストランに行けることはとても豪勢なことで、そのようなことは滅多にできなかった。電話は車を持っていると、ほぼ全ての近隣住民が羨み、海外旅行などはもってのほかだった。
決して彼らがこれら豪華なことをできなかったというわけではない。彼らはある選択をしたのである。それは、彼ら自身の暮らしを豪華にすることではなく、それら全てを犠牲にして、汗や血を流しながらも、魂もお金もすべてを次の世代の人々の教育のために注ぎ込んだということである。彼らの努力がPepsiのCEOのNooyis氏やPichai氏やNadella氏を生み出したことは疑いようのない事実である。
彼ら親世代は犠牲と教育の開花という連鎖反応の中にいた。その波の中にいない人はいなかったというほどであった。一つの家庭だけだったら、そのようなことをする勇気は生まれてこなかったであろう。このムーブメントはチームプレーだったのである。誰もがこの波に乗り、お互いに良い影響を与え合った。インドの国全体がこの熱に惹かれていた。
この理由から、Pichai氏のスタンフォード大学でのエンジニアリング過程での成功やグーグルのCEOの座に就いたことは、単なる彼一人の努力の成果ではないことが分かる。それは、極限まで自分たちを犠牲にして次の世代の教育に懸けた彼の両親を含む親世代のおかげなのである。
これからのグーグルの一挙手一投足にますます目が離せない。
https://www.linkedin.com/pulse/google-gets-its-new-ceo-thanks-entire-generations-sacrifice-baruah
今年3月からサンノゼ州立大学に1年留学する大学3年生。世界中の人々が自分の願いを見つけ、その願いを存分に生きることができる世界をつくることを念頭に、通訳士を志望する。趣味は音楽でミスチル信者。