リケジョA、シリコンバレーでの挑戦

リケジョA、シリコンバレーでの挑戦

世界有数のIT企業が集まる、ここシリコンバレー。世界中から優秀なエンジニアも集まってくるITの聖地。しかし、IT企業といえば、有名なIT企業でさえも男性エンジニアが70%、女性エンジニアは30%と、まだまだ男社会だ。

そんなシリコンバレーだが、多くの優秀な女性エンジニアが活躍しているのも事実。

彼女達は、どのようにエンジニアの仕事を得て、どのようにネットワークを広げているのか、少しご紹介したい。

 

現在シリコンバレーにて、女性ソフトウェアエンジニアとして活躍しているAさんに話を聞いた。

彼女は日本の大学にて情報科学を専攻し、BS Degreeを取得。大学を卒業後、大手システムインテグレーターの企業にシステムエンジニアとして就職、3年間システム開発の基礎を学ぶ。開発は、金融システム、ホテル予約システム、携帯アプリシステム、CRMシステム、WEB開発からエンタープライズシステムまで、幅広く、主要開発メンバーとして働く。3年目にして、開発チームリーダーとして、チームを任され、忙しい毎日を送っていた。

 

そんな忙しくも充実した生活を送っていた3年間だったが、学生時代からの夢である、「海外で働きたい」という思いが日に日に強くなっていった。また、日本で働いていた会社や仕事にそれなりの充実感は合ったものの、アメリカで挑戦したいと言う思いが強くなり、2003年に会社を辞めると決意。ここからが、アメリカで働く挑戦の始まりとなった。

 

渡米するにあたり、まず最初にビザ取得問題という壁がある。Aさんは運よく日系企業のインターン先が見つかり、18カ月の有給インターンシップ(J1)のビザを取得する事ができた。彼女が担当していたのは、WEB開発の開発エンジニア。PHPやMySQLなど、オープンソースを使ったWEB開発を行っていた。ところが働きだして数週間後、インターシップ先のアメリカ人上司が、会社の別の上司と喧嘩をして突然辞職。彼が受け持っていたすべてのプロジェクトを、急に引き継ぎ資料もないまま引き継ぐ、という苦い経験をした。その時「アメリカ人と働く」と言う事を学ぶ。

 

しかし、その後その努力が認められ、就労ビザのオファーを受け、就労ビザ(H1-B)を取得する。3年後、あるStart-up企業から、新しいチームを立ち上げると言う事で誘いがあり、人生では2度目、アメリカでは最初の転職を決意する。


新しいStart-up企業では、WEBポータルサイトのモジュールの開発を担当。会社は、投資家がついていた為、資金は潤沢にあると安心していた。開発メンバーは揃っていなかったため、少ないメンバーでシステムリリースに向け、毎日深夜まで働いていた。ファーストリリースをを終え、次のリリースを控えていた矢先に、まさかの会社の資金がなくなり倒産。レイオフされる事態に。転職してわずか1年。しかも、当時は就労ビザ(H1-B)で働いていたため、即転職か日本へ即帰国か、という厳しい現実を突きつけられる。やむを得ずまた転職活動をすることに。ここで、Start-upの厳しさを知る。

つづく