「あの先生の授業マジでつまらなくて、だるいよね。授業崩壊してるわホント」自宅から同志 社大学までの約1時間半の通学も板についてきたある日のこと、数名の女子高生たちからこん な会話が聞こえてきた。やはり、教育というサービスは人に対して強い影響力がある。教育次 第では、世の中が違って見えてくる。聞き耳を立てながら、わたしはまるで数年前の自分をふ と回想し、失笑したくなるような心境だったが、もし私が教育に力のいれた学校だけの出身だ ったなら、全くの他人事だと見下していただろう。 というわけで今回は、わたしが経験した最 悪の教育と最高の教育の両方を通して得ることができた視点をいくらか共有したい。
わたしが いままでに経験したある最悪の教育は悲惨なものだった。中学2年生に話がさかのぼるが、教師が甘いため、生徒全員になめられ、私語が飛び交い、授業はもはや崩壊寸前で得られたもの などなにひとつない。残っているのは浪費した私立中学に対する授業料と時間に対する後悔だ けだ。
わたしは数年前、反転授業という画期的な教育の仕組みにあわせて、素晴らしい先生の授業 をうけたことがある。そのときの話がいままでで経験した中で最高の教育であり、わたしにと って最高のサービスだった。反転授業とは,授業と宿題の役割を「反転」させる授業形態のこ とを指す。通常は授業中に生徒へ講義を行うことで知識を伝達し,授業外で既習内容の復習を 行い、学んだ知識の定着を促す。これに対し,反転授業では自宅で講義ビデオなどのデジタル 教材を使って学び,授業に先立って知識の習得を済ませる。そして教室では 講義の代わりに, 学んだ知識の確認やディスカッション,問題解決学習などの協同学習により,学んだ知識を 「使うことで学ぶ」活動を行う。このような授業形態を導入することで,生徒の学習意欲を向 上させて知識の定着を促し,落ちこぼれを防ぐなどの 効果が期待されてい る。
わたしがその反転授業で学んだことは3つある。
1つめは、反転授業によって、 家で一時停止や再生を使って自分のペースで学習することが できる。それによって疑問点を自分で解決できるようになったことが多かった。 それに加え、 一律的な講義を教室からなくし、教室で先生のいるところで宿題をすることで先生や他の生徒 と交流できるようになった。先生は教室を反転授業によって教室をより人間的な空間へと変え たのだ。教室というのはこれまで非人間的な場だったはずだ。30人の生徒は口を閉じ、お互 いに会話することもできず、先生はいかに優れていようとも30人の無表情で少し反抗的な生 徒相手に授業を進めていた。それが反転授業によって人間的な体験へと変えることができた。
2つめは、その先生曰く、「受験勉強においても無駄を切り詰めようというまじめさが頭脳 の貧困を生み、勉強をかえって効率的でなくしてしまうことがとても多い。試験に出ること だ けを覚えようとするよりはその周辺もふくめてより大きな枠から理解しようとする人のほうが 学力も伸びる。知識が有益化されるからだ。さまざまなことがつながりを持つことで脳は活性 化する」のだという。その先生はよく知的な雑談をしていた。その雑 談は試験に必要な知識の 理解に役立っただけでなく、いまのわたしにでさえ、とても役立っている。
3つ目は、ひとに何かサービスをシェアしたくなるときというのは 、それがあらかじめ予想 していた期待値を超えたときだと断言してよい。教育において、人に勧めたくなる先生につい ても全く同じことがいえる。この先生の授業はわたしの期待値をはるかに超えた。だから、わ たしは、この先生を後輩にも勧めたし、友人に勧められたからこそ今回、谷本教授の商学の授 業を履修させていただいている。
わたしが考える良い対人サービスで大事なことは大きくわけて2つある。 1つ目は教育に関わること。2つ目は変化に最適化することだ。
1つ目を語る前に、そもそ も、存在していたということは、どういうことなのだろうか。ここでは存在しているものを仮 にXとおくことにしよう。存在していた とは、Xが生まれた世界と、Xが生まれなかった世界の 差なのではないだろか。素晴らしいサービスは、その差をできる限り大きくしたものでないと 最高のサービスとは呼べない。教育は人に与えるインパクトが大きい。 1人が大人数を相手に するので1人の質が低いと、大人数に迷惑がかかるが、1人のクオリティが高いと大 勢に価 値 を与えることができる。「あの先生がいたからこそ今の私がある」と言っている人を私はたく さん知っている。だから、わたしにとって、良い対人サービスとは、まず教育に関わること だ。そして 、反転授業を通じ、わたしが学んだ現時点での教育というサービスを最高にするた めに大切なことは、生徒が「先生」の言うことを黙って従うより、生徒が 「主体的・相互的」 になっていること。授業の内容が「効率的」だけでなく、ときには「無駄」も必要であるこ と。生徒が「予習」に学んだことに加え、先生が「差異」をもたらせられることができるかど うかが大切であるということだ。
第2に、商学の授業で人的管理の方法は時代が変化するにつれて同じようにかわってきたと いうことを学んだが、それはサービスについても同じようにいえるのではないだろうか。例えば、東京オリンピックの選考でもあったように、おもてなしが日本の強みだと言われる。確か に、海外に行くと、コンビニなど日本のおもてなしの素晴らしさを再 確認する場面 がある。
しかし、一方で、シンガポールなど世界最先端の場所に行くと、いろんなことに 気づくはずだ。シンガポールの新しいホテルは完璧にIT化されていて、部屋でチェックアウト することができる。つまり、フロントまで行って、チェックアウトしなくてもいい。部屋にス イッチもなにもない。ベッド横にタブレットが置いてあって、そのタブレットで、部屋の 各照 明やエアコンの調整、モーニングコールの設定など、すべてができる。
21世紀になって、いろ んなことがオンライン化されていくなかで、 おもてなしが必要とされている 場面の多くはなく せるものなのかもしれない。言葉にすると、非常に冷たいし無機質なように感じるが、チェッ クインもチェックアウトもしなくていいなら、それは顧客のことを考えた素晴らしいサービス と言える。なぜなら、顧客は忙しい出張や、たまにしかできない旅行で訪れているのだから、 その国の美味しいものを食べたり、いろんなものを見たりする時間を少しでも増やしたいはず だ。そして、これらのことは数十年前の日本には考えられなかった。今、世界はいままでにな いスピードで早く変化している。
つまり、唯一不変の良いサービスなどなく、これからの21 世紀は特に、変化し続ける時代に最適化したサービスが良いサービスと言える。 今はまだまだだが、私は、いずれはクリエイターとして情報産業に関わっていきたい。その ときに、どのようなサービスが良いサービスかを考えることはとても大事になってくるはず だ。なので、これからも時代に最適化していくサービスの変化を見守っていきたい。
この記事は大学の授業の課題のレポートを提載しました笑。