アメリカ。
その言葉を聞くと、海辺に並ぶヤシの木や、自由の女神、ハリウッド、高層ビルと、果てしなく続く土地を想像するだろう。
日本に比べて、圧倒的に色々な人種が混じる、とてもオープンで国際理解の強い国。
そう思われがちである。
あながち、間違ってはいない。
町の小さなレストラン一つをとっても、その客の中には最低でも5種類以上の人種が混じり合い、支持する政治家や彼らが教わってきた歴史なども多種多様である。
しかし私は、アメリカが巨大であるという印象に違和感を以前から感じていた。
大きいことには変わりないのだが、何かが違う気がしていた。
そして先月アメリカ、シリコンバレーで現地高校を卒業し、大学へと向かう彼らの姿を見ながら私はついにその『違和感』の正体を知る。
アメリカに長年住むものにとって、アメリカは実はすごく小さい。
私の知るシリコンバレーに住む高校生にとって、大学に行くというステップは日本でいう就職ほど大きなものである。
なぜなら、高校3年生まで、学年のほとんどが幼馴染だからである。
つまり、ここの高校生は幼馴染や地元の子達以外、割りかし世界を知らない。
もちろんその幼馴染や地元の子達というのは、アジア、インド、アフリカ、メキシカン、ヨーロピアンなど様々なバックグラウンドを持つものという意味だが。
日本だと、小学校を卒業したら電車で通える私立に通うか公立の中学に行くという選択肢がある。そこからまた、どの高校に通うかという選択肢もある。
約3年毎の単位で、家から離れた学校に通う機会や、自分が卒業した以前の学校の知り合いが誰一人いない環境に身を置くことは可能である。
アメリカにも私立学校はあるし、遠いところから引越しをして見知らぬ地での学生生活をする人もいるが、どうしてもコミュニティーは小さい。
こっちの場合、私立に通ったとしてもアメリカは広すぎるため、自宅から車で朝通える距離=同じ小学校や中学校を卒業した私立組も結局は同じ私立に集まる、というだけである。
もちろん同じ地区から来た違う学校の子がいるのは事実だが、幼稚園から別々の小学校に行ったけど結局は高校でまた一緒になった、なんてこともよくある。
過去今までの進学プロセスで、小中高と、全て知り合いのいる学校には進んでいない私から見て、幼稚園から知っている人たちと学ぶという環境はかなり窮屈なものにしか聞こえなかった。
つまり彼らにとって、寮に住んで通うことが可能な大学ぐらいしか、誰も知り合いのいない新たな土地と環境に踏み出すことは滅多にないのである。
そこを踏まえると、現地高校生にとって大学でどこに行くかは就職ぐらいの大きなライフイベントといっても過言ではない。初めてどこの幼稚園に通ったかわからない人達と講義を同じにするのだから。
アメリカは広い。しかし、アメリカ人の視野が広いかというとたいしてそうでもなかったりするのが現実ではないだろうか。同じ場所に居座って、報道を通して色んな話題を目にする、耳にすることは、国が広い分多いのだろうが、実際に知る、見る、感じる、等は何かとお金持ちの子供か、もしくは大人になるまでしかできていないことが多い。
そしてこれは皮肉なことに、アメリカという国土が大きすぎることが原因ではないのだろうか。
Caliɟoɹnia living の関西人。Steve Jobs の母校に通う、高校3年生。世界の目から日本を見たいという欲求に駆られ、2014年夏に大阪にあるインターをやめ渡米したのにも関わらず、すでに約五年分くらい、いやそれ以上?!のアメリカンライフをエンジョイ中。夢はなるべくたくさんの人と出会い、そこから学ぶすべてを日本に反映させること。そしてその出会った人みんなを笑顔にすること! Silicon Valleyのhigh school lifeを熱々のままお届けします!!
